ひとりひとりの顔が見えるということ

『ひとりひとりの顔が見える教育』等と言われることがあります。
そのために小規模クラス編成として30名程度のクラスにというのですが、学年あたり30名×数クラス、果たしてそれでひとりひとりの顔が見えるのだろうか?

振内小学校のような小規模校には、また別の問題もあるのだが、小規模校の良さを感じる出来事が最近いくつかありました。続きを読む

ちょっと前、卒業式、卒園式のシーズンでした。
私達も田舎に移住して数年経ってしまったので、当たり前に感じるようになっていたのですが、小中学校の卒業式や卒園式では、ひとりひとりの子供が主役となる時間があります。

卒業証書の授与。校長先生はひとりひとりの子供達にしっかりと声をかけてくれます。
名前を呼んで『○○は小学校でこうだった。中学校に行っても…。がんばれ』等と。もちろん名前は呼び捨てです。家族のような学校だから、自分の子供を呼ぶように呼んでくれます。

そして、児童・生徒はひとりひとりが中央に立ち。保護者や在校生、お世話になった先生達に卒業の決意を述べるのだ。

これが実に感動します。『お世話になったお父さん、お母さん…』等というくだりは、もう涙を止めることが出来ない。
そのお父さん、お母さんのことも良く知っているからです。
どんな苦労をされたとか、どれほど喜んでいるかという気持ちも手に取るようにわかるので、自分のことのように涙が出ます。

一昨日あった保育所の卒園式ではもっとヤラレました。
保育所の卒園式には始めて参加しましたが、やはり、小学校や中学校のように主役の時間がありました。
しかし、その泣きなさい効果はさらなるものがありました。

まず、母親(父親の場合もあるが)と子供がが中央で向かい合わせになり、母親が子供への手紙を読みます。ほとんどんの母親はここで号泣する。それを見ている父親もウルッとくる。
そして、今度は子供がお父さん、お母さんという手紙を読んで、それぞれに花を渡しに来るのです。

子供達の姿がはっきりと見えなくなってしまったことは、言うまでもないでしょう。

そして、涙が乾いてから、実感した。

どの子供も、どの親も、どの先生も、みんなお互いに良く知っている。
昔ほど寄り合うことが無くなっても、心のコミュニティはまだまだ存在している。

私達はこの田舎に越してきて本当に良かった…

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